第93回選抜高校野球大会に出場する球児に、12歳で生まれ育った長崎県佐世保市を飛び出し、中学、高校と、西日本の名門を渡り歩いている球児がいる。

 大阪桐蔭の新3年生になる右腕・関戸康介だ。

 彼の名を有名にしたのは、中学生時代に出演したテレビ番組「ミライモンスター」(フジテレビ系)だった。福岡ソフトバンクジュニアにも選出された小学生時代に、129キロを記録していた衝撃の事実が明かされ、明徳義塾中に在籍した当時も、既に146キロの剛速球を投げていた。

12歳で地元・長崎から高知の明徳義塾

 関戸少年は小学校を卒業する頃には、将来は甲子園に出場し、プロ野球選手になるという道程を具体的に思い描いていた。だからこそ12歳で親元を離れ、1000人近い中高生が寄宿生活を送る高知の明徳義塾を進学先に選んだ。

 覚悟が必要だった。

「両親からはなに不自由なく、野球をやらせてもらっていたんですけど、野球で勝負したいと思っていましたし、何かを得るためには、何かを失わないといけないというのは、小学生ながらに考えていました。両親からは、『自分がやりたいようにやりなさい』と言われていて。親元を離れる寂しさ、友達と会えなくなるという寂しさはありましたけど、そういう弱い気持ちよりも、大きい自分の夢を叶えたいという強い気持ちの方が勝りました」

 高知には望郷にひたることがないよう、必要最低限のモノ以外、何も持って行かなかったという。

アルバムとか、なるべく思い出のものを持って行かないようにして、過去を見ずに新しい一歩を、ゼロからやっていこうと思いました」

ふたたび長崎に戻った理由

 スポーツを志す中学生が親元を離れることは、珍しいことではない。私が関戸という球児に猛烈な興味を引かれたのには、別の理由がある。

 関戸は明徳義塾中3年生だった秋に、明徳を離れ、一度、長崎の実家に戻った。野球を止めたくなったわけではない。関戸は、別の高校へ進学するために長崎の公立中学に編入したのだ。

 関戸が明徳を離れたという噂はすぐに私の耳にも届いた。関戸だけでなく、全国大会に出場していた他の明徳の有望選手も一緒に離れたという。それは大きな衝撃だった。

 果たしてあのスーパー中学生はどこに行くのか。神奈川の名門とも、長崎の強豪とも噂された。

 そして、18年が明けてすぐ、大阪桐蔭に入学するという話を耳にする。情報源は大阪桐蔭の関係者だったから信憑性は高かった。

高知の名門から大阪の名門へ

 それでもにわかには信じられなかった。もちろん、どこの高校に進もうが球児の自由であり、学校側が選手を勧誘するのも自由競争である。それでも甲子園48勝の馬淵史郎監督が大きな期待を寄せていた関戸を、さすがに大阪桐蔭の西谷浩一監督とて積極的に勧誘することはためらわれるのではないか。

 甲子園常連の高知の名門から大阪の名門へと居場所を移すことで、高校野球の世界がざわつき、SNSなどを通じてあらゆる情報が駆け巡るのは、中学生といえども関戸には分かっていただろう。いわば禁断の移籍だからこそ、それが真実だとわかった時、関戸の揺るがぬ決意がむしろ伝わってきて、私は支持したくなったのだ。

「どういう進路なら自分が一番、成長できるか。それを優先して考えて、大阪桐蔭に一般受験で入学しました。意思決定はすべて自分ひとりでしました」

 全国屈指の名門で、関戸は1年秋からベンチに入った。初めて高校時代の彼を見たのは、その年の秋季近畿大会だった。確かに球速には目を見張ったが、記憶に残るのはマウンド上で投げる度に帽子を落とし、それをいちいち拾っている姿だ。フォームに安定感がなく、コントロールも定まっていなかった。

 以降はケガに悩まされ、昨秋は股関節を痛めてさらにフォームを崩し、リリースポイントバラバラだった。さらに秋季近畿大会後に右手の人差し指にデッドボールが当たって骨折する。しかし、投げられない時期が長かったことで、この冬は徹底して下半身をいじめ抜き、フォームに安定感を取り戻す。ケガの功名だった。

今年の高校球界の“ビッグ4”

 選抜開幕の2週前、対外試合が解禁されて最初の練習試合に足を運ぶと、関戸は2番手として登板。捕手のミットが届かない、バックネットに突き刺さるような暴投も2度あったが、カーブスライダーといった変化球が鋭く決まり、結果として5イニングを0点に抑えた。高校入学後の球速はMAX154キロに伸びているが、この日も150キロをスカウトのスピードガンは表示していた。同校の西谷監督は、とりわけ期待の大きい選手には「大きく育って欲しい」という言葉を使う。今年のチームでいえば関戸がその対象のひとりだ。

「みなさんは球速のことばり気になさりますが、私は興味がないので、しっかりと勝てるピッチャーになってもらいたい。彼の場合、どうしても出力が高いので、ボールは暴れる。ただ、私が打者ならそれはそれで嫌ですね。関戸のひとつの持ち味だと思っています」

 関戸は同じ大阪桐蔭の大型左腕・松浦慶斗、市立和歌山の152キロ右腕・小園健太、中京大中京(愛知)のエース右腕・畔柳亨丞と共に、今年の高校球界の“ビッグ4”とも、“四天王”とも呼ばれる。だが、関戸は昨秋の大阪大会、近畿大会ではケガの影響で目立った活躍ができず、4人の中で公式戦実績は誰よりも乏しい。179センチ81キロという大柄とはいえない体躯に内蔵するエンジンの大きさだけで将来性が期待されてきた投手といえる。

「未知の世界に進んで行くというのは自信の表れ」

 いつだったか、NPBからのメジャーリーグMLB)挑戦がタブー視されていた時代に海を渡った野茂英雄に憧れているという話を関戸から聞いた。

パイオニア的な姿勢がすごい。未知の世界に進んで行くというのは自信の表れですよね」

 今年の選抜に臨む大阪桐蔭では松浦がエースを担う。「10」を背負う関戸は「マウンドに上がればエースの気持ちで投げます」と話す。自らがもっとも成長できる居場所を求めて旅するジャーニーマンは、道半ばながらこの春、初めて甲子園のマウンドに立つ。

(柳川 悠二/Webオリジナル(特集班))

今年の高校球界の“四天王”の1人とも言われる関戸康介 ©産経新聞社


(出典 news.nicovideo.jp)


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